2003

" IN THE ROOM "

2002

"SILVER SURFERS "
"
small pieces 2"

2001

" WHITE LINES 3 "

"small pieces"

1999

" WHITE LINES 2 "

1998

" WHITE LINES "

"WEEPING PINK"

1997

"WEEPING PINK"

1996

"FLOATING GRAY"

1995

"UNTITLED"

1994

1994年2月、地元久留米「東判画廊」で2回目の個展。パネルに漆喰でレリーフ的にテクスチュアを作り、アクリルで彩色する手法をとる。黒を多用。とても暗い作品。フロンタル+シンメトリックな、十字の構図。向き合うという意味合いとシンボリックな窓のアレゴリー。孤独感、喪失感。崩れかける壁に憧れたせいか。アントニ・タピエスの影響が色濃い。この年、4月下旬に、10月に風雅亭で個展。〈 風雅亭 〉は和の空間、それに合わせて和紙を多用した白い作品を制作。ポジティヴな「光」をモチーフにした。

1993

1993年3月、佐賀「ミトヤ」で初の個展。

ドンゴロスとテンペラ、ライトレッド(酸化鉄)の顔料を多用。土性顔料。内容的にはロスコの影響が濃い。夏、留学生・王国偉氏の引率で1ヶ月弱の中国貧乏旅行。雲南省の村落で壁に見惚れる。

1992

1990-1991

大学を休学して欧州一円を旅する。列車の車窓から見るなだらかな斜面の風景は、さながら敷き詰められた絨毯(じゅうたん)のようだった。スケッチし、パウル=クレーの影響で、抽象化を試みる。旅行中の1/17朝、ベルリン。湾岸戦争勃発を知る。旅行中に終戦。

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1992

卒業制作に、F20号(縦)の20点連作を出品。パネルにドンゴロスを膠貼りし、石膏地塗り、テンペラ+パステル。やわらかい矩形の構成、抽象作品。旅のなごり + 熊谷守一(1880-1977)の影響 =「地に根ざしたものでありたい」と思うがゆえに、(安直にも)土性顔料ばかりを用いる。大学を卒業して実家に戻り、敷地にある壊れかけの古い納屋(昭和11年3月棟上)を修理し、アトリエとする。